≪夫を道楽にしていた≫といったら、言い過ぎかな?

  • 2015/4/3
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オレがセーターを裏返しに着ていたら

下宿のおばさんに注意されたんだ。

 

≪セーター裏返しですよ≫

≪いいんだ、明日には表になるから≫

 

このエピソードを聞いた瞬間から、私の道楽人生が始まりました。

夫道楽です。

いい意味でも、悪い意味でも。

 

≪明日には表になるから≫という言葉が放つこだわりのなさに

≪なんだか素敵だなぁ≫と、自由の風を感じたのです。

若気の至りといってもいいかも知れません。

 

自由の風には、代償を払うことになるんですね。

そのことに気づいたのは結婚した後。

 

セーターの裏返しは序の口でした。

ズボンの裾が靴下に入ったまま。

ワイシャツの襟の上にネクタイが。

 

素敵に感じたこだわりのなさの尻ぬぐいが、私の日課になりました。

 

私は私のままなのに、視点が変わると

≪素敵だなぁ≫が≪世話が焼けるなぁ≫になってしまう。

まさに幸も不幸も、意識の持ち方でどうにでもなるということ。

 

なので

≪もう少し気をつけたらどうなの≫という感情が湧いたとき

いつも原点に戻るようにしていました。

自由の風を感じたあの瞬間に・・・

 

すると

≪この状況を選んだのは、他ならぬ私なんだ≫と納得して

責める気持ちはどこへやら・・・

何年も経過してから、ふと気づきました。

 

その気づきのきっかけとなったのも、夫の何気ない言葉。

あれこれと世話を焼かれるのが煩わしかったのでしょうね。

≪まだ諦めないの?≫と、ひと言。

 

≪そうか~、夫は自分を変える気はないんだ≫

私は妻としての自分を世間の眼から守るために

夫の身だしなみの世話を焼いていたのかも知れない。

 

夫にしてみれば

セーター裏返しだって、生きていくのに困りはしないのに。

困るのは私。

≪私が笑われるから、きちんとしてちょうだい≫

これは

私の心の奥に潜む影(シャドウ)がささやいたものでした。

 

≪私だって誰も見ていなければ

自分のセーターが裏返しでもヘッチャラかも知れない≫

 

夫は合わせ鏡の役をしてくれたのですね。

お蔭で、私の心にも

≪セーター裏返しへの願望≫が存在することに気づくことができました。

この道のりを道楽と表現するのは、どうかしらとも思いました。

 

なぜなら

夫と共に歩みながら、いつも楽しんでいたわけではないからです。

でも、終わりよければ何とやら・・・というでしょ?

 

老年期に入って

自分の心に巣喰う影(シャドウ)を受け入れることができたのは

夫を道楽にしてきたからだなぁとつくづく思うのです。

 

今は夫道楽を卒業して

私の魂が喜んでくれる道楽へと、一歩踏み出したばかり。

 

催眠療法・リュミエールのサロンを立ち上げ。

それをきっかけにしてアメブロの面白さに目覚め。

もうすぐホームページ作成にもチャレンジの予定。

すべて、私の人生のメニューブックには無かったものばかり。

 

旦那さま、私を道楽にしてはいかが?

面白いことが起きそうな予感がするんだけど・・・

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