あなたはどんな感情を感じても当然です。

もともと感情に良いも悪いもありませんから。

 

ところが

感情が有害なものに変化してしまう場合があります。

それは自己判断という要素が加わったとき。

 

どんなときに自己判断を下すのでしょうか。

誰でも嫌だなと思う感情を感じてしまうことがありますよね。

そういう場合悪い感情を良い感情にすり替えるために勝手な自己判断をします。

 

あなたが、次の感情を悪いものと認識しているとしたら

≪怒り、恐れ、妬み、敵意、被害者意識、自己憐憫、攻撃性≫

それらを必要としている自己イメージを創りだすのだとか。

 

なぜ、そんなことをするの?

悪い感情を感じている自分を正当化するためです。

 

この種の自己イメージの創り方は人それぞれ。

試練を克服する動機つけに、恐れを用いる人。

依存心や被害妄想を高めるために、恐れを用いる人。

人を支配するために、怒りを用いるひと。

怒りの感情を恐れ、決して怒りをあらわにしない人。

 

かつて、私が波動測定を定期的に受けていた頃のことです。

【恐れ、被害者意識、自己憐憫】の文字が頻繁にカルテに登場していたのを覚えています。

そのときは、思ったものです。

≪恐れの感情は幼いころからず~っとあるのは認めるけれど・・・≫

≪被害者意識と自己憐憫という感情には心当たりがないよね≫と。

 

今になれば、よく理解できます。

≪○○のせいでこんなことになった≫とか

≪こんな思いをするなんて、かわいそうな私≫

私の心の洞窟に隠れていたシャドウのエネルギーが

波動測定によってあぶりだされただけだったのだと。

 

よくこんなセリフを耳にしませんか?

≪あなたのためを思って・・・≫

愛の感情表現ですね。

心底から言葉通りの気持ちの人も、もちろんいます。

 

ところが

美しいはずの愛の感情さえも

そこに自己判断が加わると、たちまち有害なものになるのです。

 

例えば

育てられるときに

親から受けた歪んだ愛の表現に苦しんだことはありませんか。

≪あなたのためよ≫といわれても思いやりを感じなかったとか・・・

 

詮索好きな人は、このセリフを隠れ蓑にすることが多いですね。

≪あなたを助けたくて・・・≫と。

 

もしかすると、疑問を感じた人もいるのではないでしょうか。

≪感情をむやみに抑圧してもいけないし

そのまま放っておいてもいけないというなら、いったいどうすればいいの?≫と。

 

お勧めは【自分に共感する】というやり方。

この視点は私には、かなり新鮮に感じられました。

【共感】とは外部に向ける感情とばかり思っていましたから。

そうですよね。

【共感】は自分自身に向けても不都合はありませんよね。

 

自分自身をしっかり見つめて

≪大丈夫。私はちゃんと理解しているから≫と自分に語りかけたとき

あなたは、一度にふたつのことをしたことになるんですよ。

ひとつは、自分の感情から判断を取りのぞくこと。

もうひとつは、ありのままの自分でいる許しを、自分に与えること。

 

ところで

他人に対する共感には落とし穴があることを覚えておいてください。

共感は同情と同じで、共に苦しむことを意味します。

なので、きちんと線引きをしなければいけません。

 

もし共感しすぎてぐったりするようなら

自分の思いやりを浪費していることになります。

共感の気持ちに圧倒されたり

相手と同じくらいいやな気分を感じることはあってはだめ。

正当な共感は受けた人にも与えた人にも、思いやりが行き渡るもの。

 

同じことが

自分に共感する場合にも当てはまるのではないでしょうか。

どんな人でも、心の内がわに判断の声を持っています。

【良心】と呼ばれるもの。

両親などの外がわからの判断の声ではありませんよ。

 

内がわの判断の声は完全に独立しています。

そして、あなたの思考の価値を評価します。

例えば

あなたが大きな怒りを感じて、大人げない態度をとったとします。

けれど冷静になってから、罪悪感を覚えたとしましょう。

そのとき、頭の中ではこんな判断の声が聞こえてくるはず。

≪私はひどい人間だ。これでトラブルになれば自業自得だ≫

 

この判断の声の主は、誰だと思いますか。

あなたの内がわの客観的な判断者ではありません。

架空のキャラクターなのです。

つまりシャドウですね。

 

このキャラクターは、あなたという人間に善悪のレッテルを貼ろうとしています。

そして、あなたに共感することは決してありません。

あなたを支配するために、怯えさせる必要があるからです。

 

自分に対する共感にも、落とし穴があったのですね。

良心の声を聞いているつもりが

架空のキャラクターの判断にコントロールされてしまうという落とし穴。

 

だからといって≪良心を捨てなさい≫と言っているわけではないのですよ。

ポイントは良心の声が咎めるように聞こえるかどうか。

その結果≪私は無価値だ≫と感じてしまうかどうか。

もしそうなら、それは行きすぎだという意味です。

狭いイメージの中にあなたを閉じ込めてしまうような判断はそろそろ手放しませんか。

 

では

本当の意味で【自分に共感する】と、どのような変化がおきるのでしょうか。

●【内がわに存在する判断者の声】がしだいに聞こえなくなっていく。

●他人の苦労話に耳をかたむけて同情しても、その感情を自分勝手に操作しなくなる。

●共感を通じて自分のチャンネルを大きく開き、相手にも自分にも思いやりが行き渡るようになる。

 

【シャドウ・エフェクト】の著者は語っています。

≪真の共感とは相手の苦しみを聞き分け、それを高次の意識に手渡すことだ≫と。

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