問題のレベルと解決のレベルは決して同じではない

 

子育て中の母親なら、無意識のうちにやっていることがあります。

幼いわが子が不機嫌なとき、先ずチェックしますね。

≪オムツが濡れていないか≫ ≪お腹が空いていないか≫と。

 

すべて異常なしのとき、母親はどうするでしょうか。

≪あっ、この子は疲れてすぐに眠りたいんだわ≫と察知します。

そして、次に取る行動は

そっと揺らしながら、優しいタッチで眠りの世界にいざなうこと。

 

このように母親はわが子の不機嫌と面と向かって戦ったりしません。

戦っても何の解決にもならないことを本能的に知っているから。

つまり、問題のレベルを超越し

違うレベルから解決法を見つけようとしているのです。

 

それでは

わが子のむずかりに対して≪問題を超越して解決へ導く≫ことができるのに

他人に対して同じような選択をすることが難しいのはなぜでしょうか。

 

それは次のような幻想を抱いているからだとか。

(実は、裏でシャドウが糸を引いているんですよ)

 

≪どちらが善か悪かを見きわめなければいけない≫

≪もし、勝者を支持していたら、私も勝利を手にできる≫

 

神の名のもとに行われている戦争は、そういう幻想に基づくもの。

敵の軍隊も味方の軍隊も

≪神は我らの味方だ、ゆえに勝利は我らにある≫というスローガンを掲げていますね。

 

しかし敵をねじ伏せようとすれば、シャドウの思うツボ。

問題レベルでもがいているときは

本当の意味で≪超越する≫という選択肢を選んでいないのです。

 

≪超越する≫という選択肢を拒否した具体例を挙げてみると・・・

 

●あなたは慢性的痛みを抱えています。ところが

医者に行く代わりに鎮痛剤の量を増やしました。

 

●こんなうわさが耳に入ります。≪Aさんがあなたを嫌っているそうよ≫と。

すると、あなたの心に化学反応が起きます。

≪じゃぁ、私もあの人を嫌いになろう≫と。

 

●わが子が学校で友達とけんかをしたと連絡が入ります。

≪うちの子は絶対に悪くない≫と先生に伝えました。

 

●知り合いの夫婦が離婚するとの知らせが入ります。

とっさによぎった思いは≪これからどちら側につこうか≫でした。

 

●ある宗教の伝道者が訪ねてきました。

あなたは≪私の信じる神が一番正しい≫と思っているので

その面前でドアをピシャリと閉めました。

 

普段の生活でも、よく見られる状況ですね。

これらのケースは≪一方が善でもう一方は悪≫というレッテルを貼ったもの。

 

ところが私たちは

それらの行動の裏に≪シャドウが働いている≫とはなかなか気づかないものです。

 

客観的に眺めれば、どの場合でも

勝手な判断を下しているのは分かりますよね。

このような判断は誰の益にもなりません。

益を得るのはシャドウだけ。

 

私たちがそこに気づくようになれば

悪と見なした相手によって生まれた怒りや恐れが消え去ります。

 

そしてその瞬間、あなたは≪超越≫を選ぶ自由を手に入れます。

問題のレベルというよりも

むしろ解決のレベルを捜すようになるのです。

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