蒔いてもいない果実を求めてはいませんか?

土いじりの好きな人はもちろんですが

植物にうとい人でさえ、自然の法則は意識に織り込み済みのはず。

 

子どもでさえチューリップの種を蒔いたら

チューリップの花が咲くことを疑いもしませんね。

 

この法則は植物だけではなく

あなたの人生にも働いているのを意識していますか?

≪さぁ、そう訊かれてもね~≫

改めて問われると返答に詰まってしまいますね。

 

じつに意外なのですが、わが身に当てはめると

人は自然の法則が見えなくなることが多いようです。

 

たとえばこんなことはありませんか。

自分は親切にしていないのに、他人を不親切だとなじる。

こちらから友情を示していないのに、友達がいないと嘆く。

自分は悪口や愚痴をこぼしているのに、周りの人々のレベルが低いとバカにする。

自分はすぐに怒るのに、他人は我慢が足りないと思う。

 

かの有名なエドガー・ケイシーが、リーディングで述べています。

何を蒔こうとも人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる≫と。

友情がほしい人は、友情の種を

優しさがほしい人は、優しさの種をまきましょう。

 

蒔きっぱなしはダメですよ。

水をやり雑草をとり、せっせと世話をしてください。

植物の種と違って、これらは目に見えない種、霊の種ともいえますね。

 

人は無意識のうちに何かを隠そうとしてしまうことがあります。

他人を知らずに傷つけたのに、逆に傷つけられたと逆恨みする。

心の痛みを感じないように、痛みを相手のせいにするのです。

自分の心の影を相手に投げる、投影ですね。

 

これを繰り返していると、どうなるのでしょう。

怒り、憎しみ、恨みの種を蒔いているのですから

人生の畑は荒れ放題になります。

魂の栄養になる種を蒔くチャンスも見逃してしまいますね。

いったい、どんな果実を収穫するのでしょうか。

 

エドガー・ケイシーがもうひとつ意味深なことを述べています。

≪ただ単に善良であるだけでなく何かに対して具体的に善とならなければならない≫と。

愛に根差した行動をとれ!ということですね。

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