≪子どもの脳≫は親に対する依存心から生まれる

 

幼児期に作られたOSである子どもの脳は

何に対する思いがベースになっているのでしょうか。

というところで前回は終わりました。

 

結論からいいますと、ベースになっているのは

子どもにとって一番大きな存在である家族、特に親に対する思いです。

それは≪・・・してくれて当たり前。親なんだから≫というもの。

 

この思考の裏にある思いはこれ。

≪私の意志で生んでもらったわけじゃない。親が勝手に生んだのだ≫

 

子どものころは、脳は成熟していませんから

≪・・・してくれて当たり前≫と思っていても当然かも知れません。

そして大人になっても、その思いのかなりの部分が

≪巨大な依存心≫となって脳に残っているのだとか。

この≪巨大な依存心≫が子どもの脳の判断基準となると言う。

 

もしかしてこんな思いに捉われた覚えはありませんか。

≪あのとき、親は○○○してくれなかった≫

○○○の部分には、さまざまな欲求が当てはまることでしょう。

*欲しいものを買ってくれなかった。

*食べたいものを食べさせてくれなかった。

*一緒に遊んでくれなかった。

*話を真剣に聞いてくれなかった。

*着たい洋服を着せてもらえなかった。

*兄弟、姉妹と平等に扱ってもらえなかった。

*進路を自由に選ばせてもらえなかった。etc.

 

たとえ何十年前のことでも、しつこくそう思っている人のなんと多いことか!

なぜ、それほど恨みがましく、その思いが心に留まっているのでしょうか。

それは相手が親だからなのですね。

 

他人のことは何年か経てば忘れても

親に対しては、してくれなかったことに目が行くのです。

≪やってくれて当たり前≫と思っているからですよね。

子どもの脳はそれほど依存的で、人から奪うことを当たり前に考えているようです。

 

 

≪親に話を聞いてもらえなかった≫という思いを例に取りましょう。

6才以下の子どもの脳は、母親を召使のように思っているとか。

≪話を聞いてもらいたいな≫と思ったら、母親がどんな状況にあろうとも

≪聞いてくれるのが当たり前だ≫と思っています。

だから

日常的に母親が話を聞いてくれていた事実は

当たり前すぎて、記憶に残らないのだそうです。

 

そしてたまたま≪忙しいから後でね≫と言われたときは

それは強烈なマイナスの印象として記憶されます。

子どもにとっては非日常のできごとですから

≪聞いてもらえなかった≫という強い印象だけが

記憶に焼き付けられることに。

 

つまり記憶というのは全体のうちのわずかな部分。

部分しか覚えていないのに、それを正しいストーリーだと勝手に思い込んでしまう。

そして口から出るのは≪私はこう育てられた≫という恨みの言葉かも知れません。

その思い込みがあなたの人格を創っているとしたら

自分の可能性のフィールドを自ら狭くしていることになるでしょう。

 

亡くなった姑がよく口にしていたのは≪親に抱いてもらった記憶がない≫という言葉。

商売をしていたので忙しかったことは事実。

でも、子どもを抱かずに育てるほうがむしろ難しいと思いませんか。

 

もしかしたらあるとき≪抱っこして≫と忙しい母親にねだって

≪忙しいから、あっちに行ってなさい≫とでも言われたかもしれません。

めったに経験しない母親の思いがけない拒否に出会えば

それは非日常のできごとですから、強く記憶することでしょう。

≪抱いてもらえなかった→愛されていない≫と。

 

その瞬間に感じる感情は子どもによって違いますが

≪怒り、淋しい、悲しい≫などでしょう。

この感情のエネルギーが解放されずに残って

年を経るにつれて心の奥にしこりのようになります。

 

通常の表層意識では、このしこりに気づくことはないでしょう。

しかし影響を受けていることだけでも知っておいてください。

感情の奴隷にならずに、思うように生きるには

脳のこの仕組みを理解することが第一歩かと思います。

 

 

 

 

 

 

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